腕イッポン日記 2025年 春

    私が腕一本と言う生き方に憧れ、それがどう転んでもできぬ叶わぬ事を知り、だがしかしどうかその見た目だけでも腕イッポンしてみたい!その一心で作業着を着始めて、まもなく二年と半年が経とうとしています。いままで何かを毎日やり続けた事はついぞ無く、過去最長があるとすれば、ゲーム『信長の野望』を一年間毎日やり続けたのが最長でした。(離婚の危機でした。)今回はそれを越えましたー、やったー。

    仕事から帰ると毎日欠かさず作業着に着替えコスプレを楽しんでいるワケですが、我ながら大したもので二年以上も経つと恥ずかし気もなく近所をうろつき回ったり、町内の会合にも作業着姿で顔を出せる程になりました。

    そんな事をしていると時折、人には気易い人がいるもので、あなたはフツーの勤め人のはずでしたがなんでそんなカッコをされているか?とツッコミを入れられたちまち返答に困ってしまうのです。

    そんな時私は苦し紛れに「しゅ、しゅ、しゅみで、も、ものづくりを少々…がれ、がれーじの中…」ともがもが答えるようになってしまいました。

    そして中には更に奇特な人がいて、なるほどそうか、そうかなるほど、それならこうこうこんなものは作れますかな?とあろうことか注文が舞い込んでしまったではありませんか!

    私はうろたえました。だって実はただのコスプレマニアなんですとは誰が言えましょう。

    「わ、わかりました、でき…ます…よ、たぶん…」とやむなくの安請け合いをしてそこから困り果ての毎日がやってきました。

    ものづくりしてる。そうなんです。それはまるきりうそと言うわけではないんです。でも腕イッポンのフリをするための薄っぺらーいものづくりなのです。安請け合いでた易くできるはずもなく、もんもんの日日がこれでもかと続き三月が経ち半年が経ち、待たせに待たせてやがて暦が変わるぞと言う頃ようやくそれらしきものができ上がりました。

    さいわいにも頼んでいただいた人に喜んでいただきこの度、その方のお店で紹介していただく運びとなりました。ほーっ。

    『何事も十年休むことなく毎日続ければ必ず腕一本になれる。』

    かつてこの事をなにかの本で聞きかじった私はいたく気に入り自らが体得した真理かの如く、やってきたかの如く周りの人に受け売って歩いていた事がありました。そして受け売っていた事すらも忘れ十年程も経ったある日、かつてその言葉を受け売られた友人から

    「大野さん、あの十年続けたらってハナシ、あれ、ほんとだったわ。」

    あの時確かに脳天を撃ち抜かれるズキューーンと言う音が響き渡りそれと共に頭が真っ白になり膝から下がすぅーーっとなくなってしまったのを昨日の事のように覚えています。

    十年腕一本。ならばコスプレは十年経てばどうなるか?それがどうしても見てみたくなった二年と六か月目の五十二才の春なのです。

    2025年3月20日 |  ,

    腕イッポン日記 2022 秋

    皆さんの仕事場には仕事着や制服はありますか?

    私の職場には特に決まった服装はなく動きやすければそれでよいのです。ただ寝起きでコンビニに行くのと間違われたり、市民プールや虫捕りへ出かけるのと間違われなけれさえすればそれでよいのです。

    そんななので、スーツを堅苦しいと感じている方や不本意な意匠の制服を着させられていると感じる方にとっては自由でいいなあと思われるかもしれません。

    しかし隣りの芝は青い、ではないですが私と言うものは自分と正反対のものが良く映ってしまうもののようでして、街で見かける制服や仕事着などがカッコいいよなぁと思うことが最近多多ありまして。

    床屋さんの腕まくりした白いシャツにエプロン、素敵です。

    車の修理屋さん、半袖のつなぎからニョッキり突き出た逞しい腕。細心の注意でスパナを回す。荒々しさと冷静さのハイブリッド。たまりません。

    夕暮れ時、一日の終わりに頑張ってくれた重機達の汚れをごしごしと丁寧に洗う土建業の若者達。ピアスに茶髪のとんがった風体。夕日に照らされた君達はとっても美しいことを知っているか。

    あーいい、仕事着、いい、いい!

    一方の私はと言えば生まれてこの方、人様に頼り切って生きてきまして。“人”と言う字は人と人が支え合うと書くのは有名な話です。最初私も一応は“人”の形を保とうとはしてみるのです。ですが、いつの間にかもたれ掛かり、寄っ掛かって行き、気がつくと全体重を任せ切り“入”の字となってしまっているのです。来年辺りは遂に足が宙に浮いて“T”の字となってしまわないかと危惧しております。

    そんな私なので仕事着を着る人の中でも特にその身一つ、その腕一本で生きてこられている方、つまりご飯を食べれている、ご家族を養っておられる方々に対して非常な尊敬、畏敬の念、ある種の憧れを持っております。人生と言う名の荒波をおのれの腕いっぽんと経験ひと竿と知恵ひと袋だけ引っ提げて口笛吹いて渡っていく人たちの爽快感、充実感、痛快感…ああ、大したもんだよなあ、すごいんだろうなあ。俺も味わってみたかった。いや、味わってみたい。

    ああ、しかし、どうやったら今さら味わえる?!

    「そうだ、作業着、着よう。」

    私の出した答えがコレでした。

    作業着着て腕いっぽんの人気分味わったらええやん、そーやん。答えがわかったらこっちのもんで、すぐさま作業着の購入に取り掛かりました。

    腕いっぽんと言って思いつくのは、まず職人さんだよな、やっぱし。それじゃあコレだなと、とび職人風の白い作業着をポチッと購入。コレで腕いっぽん間違い無し。早く届かないかなぁ。いや、しかし待てよ?これから汗にまみれて腕いっぽんするんだから、もう一着要るよな、ウッカリウッカリ。

    ではとて更にポチッと購入したのは、鉄工所の職人風のネズミ色の作業着。うわわあ、キテるわあ、コレ。コレ着て菓子パンでも頬張って、すり寄って来た子猫に分けてあげれば本物の鉄工所の昼休みやん!あと牛乳ビンも必須やな。

    もうワクワクの止まらない私だったが、おい待て、待て待てちょっと待て。いつものことだが何かとっても大切なことが忘れられている様な気がするぞ?もいちど良〜く考えろ?と熟考を促すもう一人の自分がいた。察しの良い私はすぐに気づいた。

    そっか!作業帽な!腕いっぽんは常に危険と隣り合わせ、頭を守らないでどうすんだ!自分のウッカリさ加減に半ば呆れつつ、今度は作業帽子の購入に取り掛かった。そしてコレまた労働者を絵に描いたようなヒモで縛るタイプの古風な作業帽子を手に入れた。もちろん紺色、ベージュ、ネズミ色、労働者基本三原色の三セットだ。

    完璧な腕いっぽんを手にした私は早速、週末、腕いっぽんを身に纏い鏡の前でカナヅチを叩く人、重い物を運ぶ人など、さまざまな労働のシチュエーションのポージングをキメ、悦に浸った。あーコレぞ働く男やぁ…。よーし、それじゃあそろそろ行くかな。ふぅ〜っと深呼吸して、思い切って家の外に出てみることに決めた。汚れひとつないピッカピッカの作業着と作業帽で。

    早速、ご近所の方と遭遇。

    あ、どど、どーも…。

    目が泳いでどっかへ逃げた。私はやや強めの人見知りなのだ。泳いで行ったのがバレないよう作業帽を目深に引っ張って会釈し足早に通り過ぎた。その後、20メートルほど近所を進み、掛け足で家に引き返した。

    くっそー、恥ずかしい。そうなんだ。いつもここで終わるから俺はいつもダメなんだ。俺も腕いっぽんになってやるんやあ!

    自分にそう喝を入れて、少しずつ距離を伸ばして行き、嫌がる娘や息子を伴い、仕事帰りの父さん風情を装い隣町まで買い物に出かけられる様にまでなり、、、

    そしてついに今日、かの世界都市、シルクロードの最果て、あをによしは奈良の都までやって来ることができました。中1の息子と二人、出張ついでの観光を装って。

    「仕事ついでに奈良に寄って正解やったなぁ」

    「せやな。父さん、今度は仕事抜きで来たいな」

    「…せやな」

    人間、勇気を持って何事かを続けていればいつか必ず何者かになれるんですね。

    次はあなたの街に腕いっぽんでお伺いするかも。

    2022年10月20日 | 

    夢日記 その3

    高層ビルの様なバスを運転する運転手。運転席と乗客席は最上階にある。私は乗客として運転席後方に座っている。運転手は制帽を目深に被っているので顔は見えない。折り目正しい制服が何故かプラスチックのパイプを連想させる。バスの遥か下の道路を見下ろす。碁盤の目の様な道路の前後左右を米粒ほどの大きさの車がひっきりなしに並走、または交差している。

    こんなに高くて巨大な物をちゃんと運転できるのか?真下の様子などほとんど分からないではないか?私は言いようの無い不安に駆られる。

    そんな不安をよそにバスは走り続ける。

    市街を抜け山のトンネルに差し掛かる。
    高層ビルの様なバスが通過できるトンネルがあるはずない。しかし、そこに私のイマジネーションは働かない。バスは難なく通り過ぎ、出口に差し掛かる。と、出口付近の黒いアスファルトの帯が突然、真っ白な雪の帯に変わる。あ!っと思った瞬間、運転手はハンドルを右に切った。高層ビルの様なバスは横ざまに回転、雪の帯の上をそのまま滑っていく。運転手は必死にハンドルを左右に振り回し高層ビルの様な車体を立て直そうとしている。その必死さは常軌を逸している。やっとの事で前向きに態勢を戻し、ほっとした次の瞬間、真下に渋滞の列。急ブレーキをかけるが間に合わず、高層ビルの様なバスははるか下の米粒の様な車をガシャガシャ押しのけ、圧し潰していく。運良く脇に押し分けられた車の下から女が両手を上げた状態でにょきっと現れたのが見えた。まなこを上に向けいかにも死んだ、と言う芝居掛かった表情。高層ビルの様なバスは無数の米粒の車を正に寿司詰め、ぎゅうぎゅうに詰め切った所で止まった。

    ああ、大変な事になった…この様子ではどれほど死人が出た事かわかりはしない。
    これは大変な事になった…
    だが、これは私がやった事じゃない、やったのは運転手なのだと内心胸を撫で下ろしている。

    ふと、運転手を見る。
    運転手はハンドルに絡まった様な格好で顔を埋ずめている。プラスチックのパイプの様だった制服は溶けてしまったかの如く歪み、複雑なシワの文様を運転手の背中に刻ん込んでいる。それは何故か深い海の底を連想させる。絶望感が運転席にウワンウワンと音も無く反響している。
    私は気の毒さを感じると同時にこの運転手が生身の人間だった事に改めて驚く。

    運転手は身じろぎもせずうずくまっていたが、決意したのか急に立ち上がり、真ん中の通路を後方の出口に向かってツカツカ歩いて出ていった。

    この高層ビルの様なバスの中では逃げ場は無い。観念し自首するのだろう。

    しかし、こんな高層ビルの様なバスを運転させられ、一生を無駄にするとは。
    私はますます運転手が気の毒になった。





    過去のひとり言はわたくしのブログ「あだばえの花」adabae.com
    に収録していきます。
    そちらもよろしければよろしくお願いいたします。

    2017年6月23日 |